定位置争いと言っても我がチームのことではない。小学校低学年の頃、我家の前は沢田通りと呼ばれていたが、今は環七と呼び名が変わった。家のすぐ裏にはアパートが2棟立ち並び大勢の子どもたちがいた。アパート前の狭い空き地を子供が所狭しと駆け回る。
紙芝居屋がきた。愛称はコロちゃん。
「ダルマのコロちゃん」という紙芝居から、子供たちにはコロちゃんと呼ばれていた。
いつも人だかりができ、華やかで人気者だった。
コロちゃんは人気者だが気が短かった。(メイジャ・マクレの選手にもいるが)
「あっちいった あっちいった」
と、お金を持たずに並んだ子供を追い払う。
子どもたちがひそかに楽しみにしていたのが、コロちゃんの喧嘩だ。
我家の裏のアパートには別の紙芝居屋のおじさんが住んでいるのだ。
普段は時間をずらしていたのだろう、滅多に鉢合わせをすることは無かった。雨が降った日はコロちゃんが来ないので、アパートの紙芝居屋の部屋に押しかけ紙芝居をみせてもらったのだがコロちゃんほど面白くない。今思うと雨降りの日は独りで酒を飲んで酔っていたのだろう。
アパートの紙芝居屋とコロちゃんが鉢合わせとなると、大変なこととなった。
「俺のショバから出て行け」
「テメーこそ」
「コノヤロー」
(川田晴久がかぶっていたような)帽子はフッ飛び、つかみ合い、つばを飛ばし罵りあう。
子供たちは遠巻きにして手に汗握り成り行きを見守る。
プロレスより当然面白い。真剣勝負なのだ……。
そう云えば当時メキシコのオルテガが日本語で
「ミナサン リキは 反則をシマシタ!」
といって人気を呼んでいたナァ。
仲裁にトルコみたいな奴が割って入れば、もっと盛り上がったのに。
このあたりに住んでいた子供たちには、池上に住んでいた「力道山」はとても身近な存在だった。池上本門寺の公園に遠征し、おたまじゃくしを取りに行った帰り道、力道山の家を覗きに行った。冬なのに半そでのポロシャツでオープンカーに乗っている姿を見てあこがれたものだ。平和島にプールがオープンした時は力道山が空手チョップでクス玉を割り鳩が飛び出した……。
話を元に戻そう。喧嘩の結末は……。
子供たちは「紙芝居」より面白い戦いを見てしまったので、興味を失いさっさと引き上げてしまった。
紙芝居屋のオジサンたちの「定位置争い」は観衆が居なくなり気の抜けたものになってしまった。